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ワインの歴史を小旅行!この人間ロマンで香り美味しさ変わる

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レストランやバー、居酒屋などでワインを飲む機会がありますよね。

メニューを見てみると、ワインの産地や味についてなど、様々な情報が載っています。

しかし特に気に留めるわけでもなく注文したワインを飲んで、ん~美味しい!で終わっていませんか?

実は私は以前、ワイン通の友人宅でたまにワインを飲ませてもらっていた時期があるんです。

友人が、「これは〇〇〇ってワインで×××なんだよ。」

と解説をしてくれても、正直そこまで関心が持てず、ただ美味いな〜って飲んでいました。

今思うと、本当に残念。

あれから時が経ち、もともと歴史物が好きな私はふと、昔友人から教えてもらったワインの歴史を知りたくなりました。

そこで今回、ワインにそこまで興味がなかった私がワインの歴史を勉強してみたのです。

するとこれが、とても面白い!

あなたが飲むそのワインはいったいどんな歴史を歩んできたのか、どんな時代を生き抜いてきたのか。

このワインの感慨深い歴史を知らずに、ただ美味しいなーって飲むなんてもったいない!

私も、友人から飲ませてもらった時にこのワインの歴史を知っていれば、「美味しい」以外に感動的なものを感じたと思うのです。

あなたにそんなもったいないことをさせたくはない。

そこで今回は私が、ワインの歴史の、特に面白そうなポイントを簡単にまとめてみました。

では早速、時空を超えてワインの歴史を旅してみましょう。

ワインの歴史は東から西、南から北に

いろんなワインの歴史にまつわるお話を始める前にまず、ワインの大まかな歴史の流れをざっくりまとめてみます。

紀元前8000年頃、ヨーロッパとアジアの境目にある現在のジョージアという国で、世界最古のワインの醸造は始まります。

そこからメソポタミア、エジプト、そしてギリシャなどへ広がっていきます。

ジョージア→西の方へ(ヨーロッパ)
そして西暦100年~300年頃、ローマ帝国の時代が訪れます。
ワイン造りが盛んだったローマ帝国は、北のガリアの地(フランス)を攻めていきます。

ガリアの地はローマ帝国に平定されます。

これにより、ワインがフランスへ伝わっていくことになります。

今やワインといえばフランスっていうくらい有名だね

地中海沿岸(ローマ帝国)→ガリアの地(フランス)
その後、ヨーロッパでワイン作りが栄えてしばらくすると・・。
1600年代、大航海時代到来!

コロンブスさんの時代ですね!

ワインはスペインから、アメリカや南米のチリなど世界中へ伝わっていきます。
ヨーロッパ→世界へ

これが大きな流れですので、まずはこれを頭に入れておきましょう。

フランスワインの歴史の幕開け

さてここからは、現在のフランスを中心とするヨーロッパにピントを絞ってみていきます。

まずは西暦100年~300年、ローマ帝国が栄え勢力を拡大していた時代のお話です。

その時代、ヨーロッパの北の方にはガリア人。

南の地中海沿岸付近にローマ人。

ものすご~くざっくりと言うとそんな配置で暮らしていました。

ローマ人とガリア人は「ワイン」と「錫」の物々交換をしていたんです。

錫:青銅(金属)の素になるもの

そして西暦100年〜300年頃、そこにあのローマ帝国の超有名人、カエサル(ジュリアス・シーザー)が登場します。

彼は北方のガリア人達の住む地を攻めていきます。

せっかく平和に交易していたのに、敢えて攻めていくカエサルは半端じゃありませんね~!まるでジャイアン!

ローマ帝国の王様、カエサルの登場により、ガリアの地は支配される。

カエサル「よし、ガリアの地をゲットしたし、さっそくブドウ畑広げていこうか!」

カエサルは農業でローマ帝国を繁栄させようと考えていました。

だから、どんどんブドウ畑を広げていきたかったわけです。

ちなみにこの農業で国を栄えさせようという考え、今も農業大国といわれるフランスに根付いています。

ところが。

当時のブドウは、地中海沿岸では育っても、それより北のガリアの地では育たなかったのです。

寒い土地ではブドウは育ちにくいんですね

そこで、先人たちは品種改良の努力を重ね、ついに寒い環境でも育つことのできるブドウを完成させます。

ブドウ栽培へのすごい情熱を感じますね!

ブドウの木はガリアの地(現在のフランス)でも作られるようになる。

その後、ローマ帝国でキリスト教が広がり始めると、それに伴って教会や修道院が地方のあちこちにできていきました。

そしてその教会などで行われるキリスト教のイベントには、パンとブドウが欠かせません。

イエス・キリストが最後の晩餐でとったものが、パンとブドウだと言われているのが関係しています。

そのためブドウを確保しなければらなず、教会などの周辺にブドウ畑がどんどんできていくことになります。

それで今のように、フランスのいろんな地域で作られるようになったんですね。

ボルドーやブルゴーニュなどの現在のフランスワイン名産地も、こうしてワインの歴史を歩み出すことができたんです。

ワインの歴史は先人たちの争いや生活、そして努力の歴史なんですね。

知ってみると先人たちに、なんとなくですが感謝の気持ちが湧いてきませんか?

そして、今すぐワインを飲みたいな~!という気分になっちゃいますね。

ではつづいて、フランスのワインの歴史を、地域ごとにさらに細かく見ていきます。

ボルドー地方のワインの歴史

ボルドーはフランスワインの名産地として有名です。

ボルドーの中でも有名な生産者は、5大シャトーと呼ばれていますよね。

ボルドー原産の品種には以下のものがあります。

  • カベルネ・ソーヴィニヨン
  • カベルネ・フラン
  • メルロー
  • セミヨン

ワインをほとんど知らないけど、なんか知ってる名前もあるな~。

紀元前1000年頃、ボルドーにはガリア人が暮らしており、当時から貿易の町として栄えていました。

そこに先ほどのカエサル率いるローマ帝国の侵略、そして寒冷地で育つブドウの開発ですね。

これにより、ボルドーの地でもブドウの栽培が始められます。

しかし、ボルドーはほとんどが沼地であったため、主に高台の土地にブドウ畑が作られていきました。

当時はローマ人からブルティーガラ(沼だらけの街)と呼ばれていたんですよ。

それからボルドーが大きなターニングポイントを迎えたのは、1152年のことです。

1152年当時、現在のフランスの地はアキテーヌ公国という国でした。

ボルドーはアキテーヌ公国の首都でした。

そして、アキテーヌ公国に女王アリエノールという人がいました。

彼女は近隣のカペー朝という国の王様、ルイ7世と夫婦でした。

しかし、1152年、二人は離婚します。

ちなみに離婚の原因は、性格の不一致だったそうです。

あちゃ~。

ルイ7世はとてもまじめな性格でしたが、アリエノールさんはとても自由奔放な性格だったんだそうです。

離婚後、アリエノールは故郷アキテーヌ公国へ帰ることになります。

しかしその帰り道。

なんとアリエノールは隣国アンジュ公国の王ヘンリーさんと出会い、恋に落ち、そしてそのまま結婚してしまいます!

1152年:ルイ7世との離婚、からのヘンリーさんとのスピード結婚

ルイ7世と離婚してまだ2か月後の話です。

切り替え早っ!自由だな~ほんと。

スピード婚を果たしたヘンリーさんとアリエノールさん。

そしてなんと、結婚した直後にヘンリーさん、王位継承ということでイングランドの王になります!

突然の大出世ですね!

こうして、アリエノールさんのアキテーヌ公国は、ご主人のヘンリーさんのイングランドの領地になります。

すると、アキテーヌ公国の首都ボルドーのワインがイングランドで知られることになり、空前の爆発的ヒット。

こうしてボルドーはアリエノールの恋により、莫大な富と繁栄を手にします。

イングランドでボルドーワインが評判となり大ヒット

そしてもう一つ大きなターニングポイントがあります。

1300年代に勃発した、イングランドとフランスの百年戦争です。

かの有名なジャンヌダルクの活躍は、この時ですね。

この戦争により、アリエノールさんの時代から約300年ぶりに、フランスはイングランドから独立することができます。

この戦争後、故郷を失いさまよった人々がボルドーに移ってきます。

その人たちにより、相変わらず沼地だったボルドーは少しずつ整地されていくことになります。

地道な努力により陸地は増えていき、ブドウ畑も増えていきます。

1600年代になり、ボルドーに移ってきたオランダの商人たちがもたらしたすばらしい技術によって、沼地の整地が一気に加速します。

100年戦争後の移民たちにより、ボルドーのブドウ畑は拡大。ワインの産業も活発に。

こうしてボルドーのブドウ畑はますます増えて、ワインづくりがさらに栄えます。

ボルドーは「ワインの女王」と言われていますが、その過去にはこんな面白い人間ドラマ・争い・努力があったんですね。

ブルゴーニュ地方の歴史と十字軍の関係

ブルゴーニュ地方が原産地の品種は以下のようなものがあります。

  • ピノ・ノワール
  • シャルドネ
  • ガメイ

有名なワインとしては、「ロマネ・コンティ」。・・聞いたことあるな。

こちらももちろん、ローマ帝国のジャイアンことカエサルが2000年前北上して手に入れた地です。

ブルゴーニュ地方のワインの歴史でキーポイントとなるのは、ズバリ、1095年から始まった「十字軍の遠征」です。

そう、十字軍が遠征先から様々なブドウ種を持ち帰ってきてくれたんです。

先ほど挙げた代表的な3つ品種も十字軍によって持ち帰られたものなんですよ。

ピノ・ノワール ブルゴーニュ地方の代名詞的品種
ガメイ ガメイ村の領主さんが持ち帰った。
シャルドネ 持ち帰った人の名前、シャンパーニュ侯爵(こうしゃく)・チボー4世 から命名。

ガメイは一時期大流行したボジョレーワインで有名ですね。

この他にも、様々な品種のブドウが東方の遠征先から持ち帰れました。

十字軍の遠征で様々なブドウの品種が入ってくる。
特にガメイは生命力が強く、安定した収穫が得られるため、儲かりました。

そこで、農家たちは好んでガメイを作るようになったんです。

一方、ピノノワールはとてもデリケートで育てるのが難しい品種でした。

あれ?でもピノノワールがブルゴーニュの有名な品種でしたよね?

その答えのカギを握るのは1395年。

ブルゴーニュ地方の、時の王様、フィリップさんです。

彼は2つのことを決めました。

フィリップ
「この土地ではピノノワール以外作るのは禁止!」
「他のところから違う品種の持ち込み禁止!」

このフィリップさんの一撃で、ブルゴーニュ地方の現在のキャラクターができました。

ピノ・ノワールはとてもデリケートな品種。

しかしそれを、現在もブルゴーニュの人々は育て続けているんです。

今もその伝統が続いているなんてすごいですね!

そして今もブルゴーニュ地方は、単一のブドウからワインを作る特徴があり、その約8割はピノ・ノワールです。

時代の波にもまれながらも、フィリップさんの命令、そしてその伝統を守り続ける。

ピノ・ノワールにこだわるブルゴーニュの人たちに、頭が下がります。

現在はいろんな国でもピノ・ノワールは作られ、私たちはその味を気軽に楽しめます。

それはブルゴーニュ地方で伝統的に栽培を続けられ、守られてきたお陰だということを忘れないでいたいですね。

さまざまなワインの品種や違いについては、こちらの記事を参考にしてみてください。

ワインの味と日持ちに変化

ところで、ワインは倉庫みたいなところで木樽に貯蔵されていますよね。

そして私たちがお店で見かけるときはガラスのボトルに入ってコルク栓がしてある。

あれはなぜか知っていますか?

続いては、ひょんなことからそうなった、という2つのお話です。

オーク木樽との出会い

ローマ人によりガリアの地開拓が進んでいた当時は、ワインの運搬にアンフォラが使われていました。

アンフォラ:メソポタミア時代から使われていた陶器の壺

しかし、もともとガリアの地は深い森が広がっており、木材が豊富にとれました。

なのでガリアでは、その木材で作った木樽を入れ物として使う習慣があったんです。

すると自然と変化が起きます。

ワインの持ち運びに木樽を使うようになった。

すると不思議なことに、木樽に入れると、ワインが美味しくなること気がついたのです。

偶然が重なったことによる偉大な発見ですね!

おまけにアンフォラよりも軽いし、落としても割れちゃう心配がないから持ち運ぶのに最適。

なるほど!でもワインを保存する樽の木材はなんでもいいのかな?

当然、それからは木樽の研究に熱が入ることになりました。

結果

オークという材木を使った木樽が1番ワインが美味しくなる。

今もワインの木樽にはオーク材が使われているんですよ。

木樽に入れたら美味しくなるね、では終わらない、古くからワインの味へのこだわりを感じますね。

密閉したワインの消費期限

ワインと木樽が出会ってさらに時が経って1600年代に入ると、またもう一つ変革が起きます。

その頃からガラス瓶が日用品として普及するようになり、ワインもガラス瓶と出会うことになったのです。

すると、コルクの原産地に近いスペインでは、ワインの入ったガラス瓶にコルク栓を用いるようになりました。

ちなみにコルク栓自体は、ギリシャの時代からあったんですよ。

そしてここで、またしても偶然の発見。

「ガラス瓶にコルク栓」、これでワインが1年以上持つことがわかったのです!

ワインが空気に触れないことにより、長持ちするんですね

ワインをガラス瓶に入れ、コルク栓をすることにより長期保存に成功

それまではワインは樽で購入して、一度樽を開けたら1か月ほどでダメになっていました。

保存期間が1か月から1年以上に伸びるなんてこれは大発見ですね。

それから「ワインをガラス瓶に入れてコルク栓」が急速に普及していきます。

ワインを美味しく保存する方法についてはこちらの記事をどうぞ。

フランス革命とブドウ畑

続いては、ブルゴーニュ地方とボルドー地方の運命の分かれ道、そして現在どうなったのか、そんなお話です。

1789年~1799まで続いたフランス革命。

スローガンは「自由・平等・友愛」。

その革命軍に、タリアンという人がいました。

彼は、地方でブドウ畑を所有している貴族や僧侶を次々と処刑していきました。

ひえ~恐ろしい、なんでですか?

貴族や僧侶が独占していたブドウ畑を、国営化しようと尽力していたんです。

ブルゴーニュ地方の貴族や僧侶も、処刑されました

そしてブドウ畑を細かく区切って、ブドウ農家たちに公平に分配しました。

革命によりブルゴーニュ地方のブドウ畑は細かく区切って、ブドウ農家たちに分配される。

現在もブルゴーニュのブドウ畑が細かく区画が分けられているのはこれが理由です。

じゃあボルドー地方のブドウ畑も?

ボルドー地方、ここもやはり貴族や僧侶たちは処刑されました。

でもここからがボルドー地方は違いますよ~。

タリアンさん「よーし、あとはいざ畑を農家たちに分配するぞ~」

しかしブルゴーニュの惨劇を知っていたボルドーの商人たち。

すでに手を考えていました。

なんと、タリアンさんに美女を与える作戦に出たのです。

そして、あろうことか・・タリアンさんはあっさりとその美女にホれてしまったのです。

冷酷非道なタリアンさんも自分には勝てなかったとは・・・人間らしいところがあったんですね。

結局、革命は最後まで遂行されることなく、モヤモヤで終わりました。

かくして、美女の力とタリアンさんの人間味でボルドーは無事、「ブドウ畑の分配」から免れたのです。

分配されたブルゴーニュと、分配されなかったボルドー。

ブルゴーニュ:「一つの広大なブドウ畑を複数のワイン生産者」が所有。そのためワイン生産者の規模も小さい。

ボルドー:「一つの広大なブドウ畑を一つのワイン生産者」が所有。そのため、ワイン生産者の規模は大きい。

これがきっかけとなり、この2つの地方のワイン生産者には違う呼び名がつけられました。

ブルゴーニュのワイン生産者のことは「区画」を意味する「ドメーヌ」

ボルドーのワイン生産者のことは規模の大きさから「城」を意味する「シャトー」

ボルドーのワインの生産者にシャトーという呼び名がつくのは、これが理由です。

何気ない呼び名にも、こんな人間ドラマが背景にあるんです。

だから、ワインは本当に面白いです。

フィロキセラという名の死神

様々なワインの歴史をご紹介するうえで、このとても有名な悲劇をさけて通るわけにはいきません。

1862年、フランスにムッシュ・ポルティさんという商人がいました。

ポルティさんは、アメリカのニューヨークで、アメリカ原産のブドウの苗をゲット。

そして自国フランスへ持ち帰り、自宅の畑で植えました。

ところが、彼のブドウ畑は枯れ始め、その現象はあっという間にヨーロッパ全土に広がってしまったのです。

最終的にその被害はヨーロッパ以外の国々にも広がってしまいました。

1800年代終わり頃になってようやく、原因がアメリカ種のアブラムシ、フィロキセラであることが突き止められました。

そして、それに対するさまざまな解決策の試行錯誤が始まります。

いろんな方法が考えられる中、アメリカ原産のブドウの木は枯れないことが着目されます。

アメリカ原産のブドウの木は、同じくアメリカ生息のフィロキセラと共存できたのです。

最終的にはこれを利用して、以下のような策にでます。

解決策:ヨーロッパ原種のブドウの木とアメリカ原種のブドウの木をブレンド(接木)する。

アメリカ産ブドウの木の、フィロキセラに対する抵抗力を得たわけですね!

ただ残念なことに、それによってヨーロッパ原産のブドウの木は世界からほとんど姿を消します。

そんな・・じゃあヨーロッパ原産のブドウから作られたワインはもう飲めないの?

ところが、そうではないんですよ。

実は、最も深刻な被害が出たヨーロッパで、被害から免れた地域がわずかですが存在します。

その他、南米チリやアルゼンチン、オーストラリアなどヨーロッパ以外の国々でも、被害から免れた地域があるのです。

南米チリは、なんと運良く1国まるっと、フィロキセラ被害から免れることができたんです。

これらの地域では、今も純ヨーロッパ原種のブドウの木が育てられています。

フィロキセラの被害が起きる以前のブドウの木を、プレフィロキセラといいます。

プレフィロキセラから作られるワインはまさに伝統の味ですね~。

そして1995年には南米チリの地域から、なんと絶滅したはずのボルドーの、カルメネールという品種のブドウの木が発見されています。

じゃあもし大航海時代に、スペインからチリにブドウの栽培が伝わっていなかったら・・

こんな奇跡は起きなかったでしょうね。

なんだかすごい話ですね

フィロキセラによって滅びたと思われていた、ヨーロッパの味。

今も遠く離れた南米チリの地で、細心の注意を払いながら大切に育てられています。

このカルメネールという品種のワインも、スーパーで買うことができますよ。

是非堪能してみてはいかがでしょうか?

まとめ

今度あなたがワインを飲む機会があったら、ぜひラベルや銘柄をチェックしてみてください。

そして「あっ、この名前、あったな」と思った時は、ここで伝えた歴史を思い出して欲しいと思います。

今回ワインの歴史を旅して、ワインの周りを取り巻く人間ドラマや、さまざまな経緯など知ることができました。

時代の流れの苦悩があり、そして災難もやってきました。

しかし、先人たちは、絶やすことなくワイン作りを続けてきてくれたんです。

だからこそ、芳醇な香りの詰まった美味しいワインを、今もこうして飲めているのです。

「あ〜、このワインにはこんな過去があって今ここにいるんだな。」

今度からは、ワインの壮大な歴史に思いをはせながら、先人たちとブドウ畑の大地へ、感謝の気持ちを込めて飲んでみましょう。

すると、数千年もの人の汗と涙と、時には血が流れ育くまれた、歴史に裏付けられた貫禄の味わいを感じることでしょう。

ワインの味と香り、そこに「歴史」という味わいを加えたら、より素敵なワインの時間になるのは間違いありません。

タンサック編集部

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